されど罪人は竜と踊る

チャイルド

「メリークリスマス!」

「……」

 ストラトスは、いつもの翳りのある無表情に、器用に『呆れ』という感情を滲ませるという芸当をやってのけた。

 うん、やっぱりね!

 でも、わかっていても、そういうのはカンに触るんだよ!!

「ストラトス、せめてなんかコメントください」

「……いたいですね」

 ……毒舌。

 今の状況下でも、歯に衣着せぬ物言いは健在なわけね……。

 ちなみに、ストラトスが『いたい』と言った俺の格好は、真っ赤な服と帽子に白いお髭の、俗に言うサンタクロースの格好である。

 この歳にこんな格好をするはめになるとは思っていなかったのだが、事務所の面々(大人組のみ)で勝負をした結果、罰ゲームでこの格好でストラトスに会いに行くというものをさせられてしまった……。

 ああ、でも、せめて1言は何か言いたい……。

「一応言っとくけど、この格好で来るの、かなーり勇気を使ったんだぜ?」

「……そこに、『勇気』とやらを使う方が間違っています……」

「っつ――かわいくねえな、お・ま・え・は!!?」

 正論なのか、屁理屈なのかなんて、この子どもの前では無意味だろう。

 口では勝てないこの状況を呪いつつ、預かってきたものをおもむろに取り出す。

 事務所の最年少の、やけに可愛くない、しかし放っておけない子どもへ。

「メリークリスマス、ストラトス」

 俺たちからの、形ある贈り物を……。

 《終わり》

にどとくちにできない、おいわい。

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変えようとはしなかった

「仲良くなれたみたいで、良かったよ」

 薮から棒にそう言われて、俺は訳が分からず首を傾げた。

 そんなことを口にした方と言えば、火のついていない銜え煙草をぶらぶらさせている。溜まった書類には目もくれずに新聞を読む姿は、正に中年男。そんな風体が様になるというか、『みっともない』ではなく、けっこうそれなりに悪くないな、と思うようになったのは、やはり俺の中で変化があったということなのか。

 さて。

 どうして、さっきのような言葉が出てきたかというと。

 今日はクエロが外の仕事に出向いているため、事務所は男ばかりというむさ苦しさだった。仕事を黙々とこなす俺と、武器の整備に余念の無いギギナ。そこから少し離れたところで、まるで玩具のようにナイフを弄んでいたストラトスが、そのまま手首にそれをあてた。

 ジオルグも加えて三人でそれを押し留め、ナイフは没収。

 いつものこととはいえ、相変わらず心臓に悪い。

 ふと、没収したナイフを見ると、黒い金属で出来たそれには、一切無駄な装飾が無かった。それが、この子どもの性質を如実に表している様に思え、場違いと理解しつつ、つい笑ってしまいたくなった。

 たったそれだけのことから、先ほどの言葉は投げかけられた。

 その意味することを考えても、未だに……おそらく、これから先も慣れることは無いであろうジオルグの言葉の変化球の真意は、わからない。しかし、だからといって、何も考えないわけではない。

 そう。

 ジオルグも、ギギナも、クエロも、そして俺も。

 ストラトスの自殺は止めても、そのための道具をあらかじめ取り上げることはしないのだ。

 まとめて取り上げてしまうことは、おそらく4人がかりならば、不可能ではない。

 それでも、それをしないのは、1回1回、この子どもと向き合うことを選んだから。

 矛盾する行為を許容して、俺たちはなんとかこの子どもに近づこうとしているのかもしれない……。

 《終わり》

 だいじょうぶ、かわらない。

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他人の恋愛事情

「ギギナ君とクエロ君のことについて、どう思う?」

 のほほんとした様子で問いかけるジオルグは、明らかに面白がっている感じであった。そんな男の問いかけに、それまで数学の問題と向き合っていた闇色の瞳が、一気に冷めていく。ストラトスの感情を読み解くことは至難の業だが、今回は比較的その難度が低く、その上、読み手がジオルグであったこともあって、割とあっさりとそれは理解された。

 シンプルな、「呆れ」である、と。

「……みっともないですね。他人の恋愛を傍目で面白がるなど、悪趣味だと思いますが……?」

「―――まあ、そうなんだけどね。でも、こういった色事は、いつの時代も人の口にのぼる、最適の娯楽だとも思うよ?」

 ストラトスのもっともな言葉に、それでもジオルグは笑って切り返しをやってのける。長く生きている分の、言い訳の豊富なレパートリーは、黒い子どもの目には、結構気に触るものとして映っているらしい。

 いつものように自殺にはしる手を、いつものように易々と制止する。

 何事も無かったかのように、ジオルグは先ほどの話題をまた口にした。

「ストラトス君は、あの2人がくっつくと思うかい?」

 子どもはしばらく黙っていたが、いつまでもにこにこと見つめてくる大人に嫌気が差したのか、やがてついに折れて口を開く。

「―――――可能性としては、万が一にもありえませんね…」

「うん、やっぱりね」

「……確信があるのならば、わざわざ他者に訊くことはないのでは?」

「自分以外の人間と意見が一致するかという確認は、とても大切だよ?」

「……」

「で、君がそう思った理由も聞かせてくれると嬉しいな」

 呑気にそんな話をふる間、ジオルグの手は止まっている。彼の机には未処理の書類が要塞を作っているというのに、一向にそれに取り掛かる気配はない。

 クエロが戻ってくれば、間違いなく落雷する。

 その未来を想像して、ストラトスは一層呆れた。

 しかし、それはやがて諦念へと変化し、話す間に完成してしまった数学の理論を書き殴りつつ、淡々とした答えを紡ぎだした。

「ギギナさんとクエロさんは、丁度良い距離をもう知っています……。今更…それを捨ててまで、『恋人』という肩書きを受け入れたりは、しないでしょう……」

 弱さに甘えるようなことを、あの2人はしないだろう。

 共に強くあらんとし、その背中を預け、並んでいられるという間柄を、ずっと保ちたいと願うだろう。

 ギギナはそれを、肉体関係まで延長させようとした。

 しかし、それをクエロは拒む。

 女は、男よりも冷静かつ客観的に世界を見た。

 未だにギギナはクエロに迫っているようだが、おそらくそれも近々終わる気がする。

「――恋愛は、難しくなりがちだよね」

「……」

 そこに、先ほどまでとは違う葛藤や想いを感じたのだが、ストラトスがそこに触れることは無かった。それこそ、野暮というものだろう。ジオルグも、ストラトスの倍以上生きているのだから、そうした恋愛の1つや2つを経験していても、なんら不思議ではない。

「……まあ、君たちは皆、まだ若いからね。――あせって恋愛に走ることも、失敗することも……恋に関心が無いとしても、何にも…悪いことじゃあないよ?」

 年を重ねた者のたわごとにも似た呟きに、子どもは何の文句も否定もしなかった…。

  《終わり》

 すきを、しるひまで……。

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竜にささげるワルツ~終章~

 終わりを見せない円を、描き続けた。

 長い、長い曲を、ストラトスはずっと弾いていた。

 音の1つ1つが連なり流れていくワルツは、言語の域を超えた祝福のよう―――。

 終わらないものは、無い。

 すべての事象、物体には限りがあり、俺たちはその中でしか生きていけないと、理屈は分かっている。

 ―――でも…。

(せめて、夢に見るくらいは、いいだろう……?)

 嘘は得意だ。

 腐るほどの偽りの言葉や態度で…そんな自分を演じている。

 だから、上手くごまかしながら踊り続けることができるはずだ。

「―――ストラトスに」

「ん?」

「――――――感謝、するわ」

 そして、あなたにも。

 唇の動きでそんな言葉を読み取った俺は、誘われるままに、赤い口紅で彩られたクエロのそれに口付けた。

 恋人同士の過度な触れ合いをギギナは興味ゼロといった感じで、一方ジオルグは生暖かい眼差しを向けている。リースは、立ったまま微動だにしない。

 青年のきりりとした碧の瞳には、踊り続ける恋人たちを通り越して、ピアノに向かうストラトスの姿が映っている。

「――師匠は、ずいぶん……音が、優しくなりました…」

 ポツリと零れ落ちた、独り言のような言葉を聞き逃さず、ジオルグの笑みが深まる。リースは更に言葉を重ねた。

「以前の……底の見えない、張り詰めた音も感じますが……師匠は、違う…大切なものを見つけられたのですね……」

 今度は、ジオルグに向けての言葉だった。師と呼びながら、まるでガユスがストラトスに向けるような、大人びた眼差し……。ジオルグの眼鏡越しの瞳も、呼応するように、優しく細められる。

「……そうだといいと、僕も思うよ……」

 ワルツは、やがて少しずつ収束していく。

 あくまで、ゆっくりと。

(――以前のクエロ君だったら、ストラトス君は1曲目しか弾かなかったどろうなあ…)

 クエロもまた、変わってきている。

 そして、その変化をストラトスも良い意味で評価しているのだ。

 1人では、このワルツは踊れない。

(……忠告と、祝福、といったところか…)

 ずいぶんと珍しい、黒い子どもの気遣いには、ギギナも多少興味をそそられたらしい。ドラッケン族の美麗な容貌が、それこそ珍しく、柔らかな驚きをまとう。

 ―――『独り』で闘い続けることへの『忠告』。

 ―――『恋人』を想える現状への『祝福』。

 それらを言葉で語らうことはしない、子どもの『音』。

 それは、『恋』溺れることも、『情』に縋ることもできないギギナの心にも、じわりじわり…と、染み入って……。

 

 

 ワルツは終わっても、踊り続ける。

  《終わり》

 しあわせだったよ

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竜にささげるワルツ~中盤~

 重々しく難度の高い『闘鬼女神』を、ストラトスは息一つ乱さずに弾き終えた。圧迫感が余韻として残り、俺も含めてしばらくは全員、呼吸さえ忘れていた…。しかし、やがてジオルグがのんびりと手をたたくと、波紋のように拍手が広がっていった。

「ありがとうストラトス。……で、何でその曲を選んでくれたのかな?」

 ―――うわあ……。クエロさん、目が笑っていないのに、口がとても綺麗に笑っているなんて、すごく器用ですね!

 まあ、確かにいくらその曲自体が完成度の高い、立派なものであったとしても、クエロの誕生日に、闘う女神をうたいこんだ曲を弾くなんて、嫌味にきこえても仕方が無い。

 ストラトスは、相変わらず暗く、感情の読めない視線を一瞬向けたが、血色の悪い唇からは音が出てこないまま……。やがて、再びその指が鍵盤に触れた。

「―――あ」

 ―――ワルツだ。

 3拍子の、円を描く指揮で表現されるワルツの曲なら、俺もいくつかは知っている。ストラトスが奏でるものも、その中の一つだった。かつて聞いたことのあるそれが、いつもの子どもからは想像しがたいほどに、心地よい。ストラトスは、先ほどの曲の雰囲気を少しも残さず、軽快なリズムに音を丁寧に乗せていく。(表情は陰鬱なままだが……)

「―――ほら、クエロ君、ガユス君」

「え?」

 名前を呼ばれて、俺とクエロはほぼ同時にジオルグを見た。

 遮光眼鏡の向こう側の、細い眼を更に細めて、ジオルグが笑っている。

「踊ってきたまえ。ストラトス君からの、お誘いだよ」

「―――へ?」

「さあ」

 せかされるように俺が立ち、ついクエロに手を伸ばす。未だに状況は良く分からなかったが、いつの間にか俺たちの周囲は、人間がひいている。ちょっとした空間は、踊るためにあつらえた、舞台のようだ。

 壁の花となった客たちが、生暖かいような、面白がっているような目をこちらに向けている。

「―――――……」

 正直、照れ臭い。

 それでも、俺は手を差し出したままで、やがてクエロの手が重なる。俺はそのまま彼女の腰に手を添えて引き寄せ、曲に合わせて踊りだした。

 タン タッ タッ

 タン タッ タッ

 (ストラトスの奴…)

 これでは、半分は俺へのプレゼントではないか……と、思ってしまうが、口にはしない。

 円を描いて、俺とクエロは踊り続けた。

 クエロが笑って。

 俺も、笑う。

 それが、嬉しかった。

 「愛してるよ」

 そんなことが、言える。

 踊り続けている今は、俺たちは誰よりも何よりも、お互いが近しく思えた。

  《つづく》

 あいしてると、いいあえた、ひび……。

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竜にささげるワルツ~序曲~

「師匠―――――――!!!」

 ピアノに向かっていったストラトスに、年若い青年の熱い声が投げかけられた。猛然と抱きつきにかかる、己よりも体格のよい人物を最小限の動きでストラトスは避ける。すごいスピードで直線的に走ってきた青年は、その勢いを殺しきれず、ぐわしゃーん!!!と、その辺のテーブルに突っ込んだ。

 パリン!バリン!ぐしゃん!!という様々な音は、一種の滑稽な音楽のようだ。

「リース君も相変わらずだね」

「そうですね」

「全くだ」

 俺以外の3人が、面白そうにその様子を見て笑うので、どうやらこれは見慣れた光景であるとわかる。…疎外感で打ちひしがれてみる…。――つうか、師匠って…?

「師匠!どうして避けるのですか!?」

「……」

 はい、綺麗に無視!

 あれだけ大きい声で喚きたてているのだから気付いていないはずはないのだが…。それでもストラトスはリースという青年の存在を、キレーに無視している。空気のように、ではなく、存在していないかのように、だが……。

 青年はかなり騒いでいたが、ストラトスの痩身が椅子に沈み、白く細い指が、白い鍵盤の上に置かれると青年はピタリと静かになった。

 騒がしかったはずのバーから、息遣いさえも静まっていく。

 ――なんか、こっちが緊張してきた。

 ストラトスの方が、むしろ落ち着いているような気さえした。

 バーン!!

「―――!?」

 初っ端から、鼓膜を限界まで振動させる大音量。

 しかし、それはすぐに、息をひそめた緊張感のある音へと変化する。指が、長い鍵盤という舞台をめまぐるしく駆けていく様を、バーに居る全員が見つめていた。

 時に、音は重力を味方に、悲愴さを持って。

 張り詰められた、静寂の中でかろうじて届く音量のままで加速していくというテクニックを惜しげもなくストラトスはやってのける。

 一体、その小さな体のどこに、そんな力があるのだろうか思ってしまう。

 曲名は知らないが、この曲がとても完成度の高いものであることは、まず間違い無いのであろう。

 (―――ん?)

 ふと、そういえば…という考えが頭に浮かんできた。

(これ、たしかクエロへの誕生日祝い…なんだよな?)

 何というか、この曲の印象としては、「恐怖」「凶悪」「おどろおどろしさ」――そして、純度の高い、「悲哀」と「孤独」……。

 月までの距離を譲歩したとしても、「ハッピーバースデー」とは程遠い。

「―――闘鬼女神…」

「――へ?」

 すぐ近くから聞こえた言葉に驚いて振り向くと、いつの間にそこに居たのか、先ほどストラトスに存在を無視された青年が、何とも複雑な表情で口元を歪めていた。しかし、俺の視線に気付くと、軽く愛想の良い笑みを浮かべる。俺もそれに応えて、それから、どうも彼はこの曲について何か知っているようだし、折角なので説明してくれないかと頼んでみた。リースはストラトスの演奏を気にしながらも、先ほどとはかけ離れたひそひそ声で、この曲の説明をしてくれた。

「これは、ピアノ曲の中でも古いもので、過去に何度も手が加えられてきました。もともと戦争中に作られたもので、女の身で戦場を駆け抜けたという人物の生涯を表しているとされています。時に人を殺し、時に人を傷つけ、勝利と敗北を経験し…。そうして生きていく女性を表して、一応曲名に『女神』という単語がついているんですが……」

 その先を言い澱む青年に、俺は深く同調した。

 そして、これはストラトスの、一種の『仕返し』の選曲であるという確信を強めたのだった。

 

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竜にささげるワルツ

 いつもの行き付けのバーとは違う、しかし負けず劣らず雰囲気の良い店内。その中のテーブルの1つを陣取って、俺たちはグラスと掲げた。

「じゃ、クエロ君の誕生日を祝ってー」

「「「乾杯」」」

 俺とクエロとジオルグの声が重なる。ギギナは一応グラスだけは持ち上げ、未成年のストラトスはウーロン茶の入ったグラスを心待ちテーブルから浮かせているだけだった。まあ、協調性とかいう堅苦しい言葉は、この面々には似合わない。俺は、赤に近い紫の葡萄酒を一口含んだ。

 その透明な液体の向こうには、真紅のドレスを身に纏ったクエロが見える。

 今日は、クエロの誕生日。

 付き合ってから初めて迎える恋人の誕生日に、俺はやはり結構気合を入れて備えていた。そりゃあもう、クエロの好物をご馳走しようと1ヶ月前からレシピを集め、上等のワインを用意し、それとは別に指輪まで用意した。あわよくば、その日の夜はクエロと2人きりで過ごしたいという俺の願いは、あろうことか彼女の言葉で粉々に完膚なきまでにすり潰されてしまったのだが……。

『毎年、誕生日は事務所のメンバー全員で、バーで飲み明かすの』

 とても待ち遠しいと、1週間前に言われた俺は、それまでの努力が一瞬で水の泡になったことを知り、もうこの星の裏側まで沈んでしまうのではないかと言うほどに落ち込んだ。しかしまあ、いざとなれば次の日の朝からでも2人きりになればいい――と、勝手に思い直して、なんとか気持ちを浮上させたのだ。

 明度の落とされた照明が、薄ぼんやりとした趣味の良い空間を作り出す。楽器を持った男たちが、バーでおなじみのロングセラーソングや、最近流行っている曲などを次々と演奏していく。

 ふと、クエロが手を挙げた。

 何か追加注文でもするのだろうと思っていたが、やってきたウエイターに、店主を呼んで欲しいと頼んでいる。ウエイターが「かしこまりました」と去って言った後、

「どうしたんだ?」

と疑問を投げかけた。

「ん、ちょっとね」

しかし、返ってきたのはそんな言葉で、クエロは少女のように笑ってはぐらかした。俺はそのクエロの笑みに見とれてしまって、それを隠すようにワインを口に運ぶ。

 やがて店主がやってくると、クエロが何かを言う前に、

「いつものでよろしいですか?」

と微笑んだ。人の良さそうな店主の丸顔が笑うと、一層愛嬌があり、場の雰囲気が和やかになる。しかし、クエロが何を求めているのかをすでに彼が理解しているらしいため、俺は全く持って何も分からないままだ。

 そんな俺の疑問を他所に、店主は楽団のメンバーに向かって手を挙げる。すると、ゆっくりと、音が消えていった。

「毎年、この日を迎えることを私共も心待ちにするようになりました」

「―――?」

「さあ、ストラトス。今年もお願いね」

 クエロはそこで、いきなりストラトスに声をかけた。そんなクエロを見るストラトスは、少し不機嫌そうな色をその黒水晶の瞳に浮かべたが、やがて諦めたように立ち上がった。

「―――――リクエストは、何ですか…?」

「???」

「任せるわ。ストラトスのセンスに」

 続いた台詞に、少年は少し考えるような様子を見せたが、やがてゆっくりと歩き出した。

 少年が向かう先は、ステージ。

「皆様、大変お待たせいたしました。これより、本日、クエロ・ラディーン様の御誕生日をお祝いいたしまして、ストラトス・ローエン・クンデラ様が、演奏をなさいます。それでは、ストラトス様…お願いいたします」

 《つづく》

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目隠しをして

 パラパラと、ほぼ一定の間隔でページをめくる音。

 そんな音が聞こえるほどに、事務所は静かだった。

「―――楽しいのか?」

 やけに分厚く、古びた本を読み続けるストラトスに、俺はついに退屈さに負けて声をかけた。濡れ羽色の髪はピクリとも揺れず、細い指は黙々とページを進めていく。想像以上に綺麗に無視されて、ちょっと空しい。けれど、それ以上に腹が立って、大して進んでいない書類を机に置いて、ツカツカと歩み寄った。

 さすがにこれだけ近づくと、本の題名も読める。――が、それは少なくとも呪式関係のものではなく、見たことも聞いたこともない人名と題名が活字で記されているだけだった。

 10代の少年が読む本としては、ずいぶんと格式ばった印象である。

「えーっと、なになに…?『精神構造解剖とその論拠について』………見るからにわけわかんねー難解さを凝縮したタイトルだな」

 わざと声に出してそんな感想を述べてみるが、ストラトスはほんの一瞬俺を一瞥しただけで、何事も無かったように読書を続行中。

 ―――完璧になめくさっていやがるな、このクソガキ…。

 いくらそれなりにこの事務所の中では(自称)3番目くらいに温厚だとしても、ここまで近くにいて話しかける年上であるはずの自分を無視してくれるような無礼極まりない子どもに、はらわたが煮えくり返ってきた。

 俺はついに手を伸ばして、本をひったくるように奪おうとした。

 ―が、憎らしいことに、その攻撃を予測していたらしいストラトスは、くるりと90度向きを変えて、いとも簡単に俺の手から逃げやがった。もう1度隙を狙おうとしたが、結果は同じである。

「テメ…!こんな時ばっか早く反応するなよ!?つーか逃げるな!!」

「………普通は逃げると思いますが」

 ようやく呆れたように言葉を吐き出した子どもに、俺は少し満足した。多少の生意気な内容も、無視されるよりはずっといい。

 再び本に視線を向けようとしたストラトスに、俺はさらに言葉を重ねる。どうせなら、たとえ噛み合わなくても『会話』をしていたかった。

「ストラトスって、本好きだよな」

「……」

「つーか、そーゆー……哲学?の本って、読んでて内容分かるのか?俺はサッパリ理解できないんだが」

「ガユスさんとは違いますから」

「――――――お前、本当、俺のこと馬鹿にしてるな」

「……ガユスさんがうるさいので死にます」

「待てって!!」

 かろうじて目に留まった銀色のナイフをひったくって、手の届かないところまで放り投げる。上手い具合にそれはごみ箱に入って、かたい金属音が室内に響き渡った。妙な技術は、間違いなく向上しているという現実を実感。―――何だかなあ…。

「事務所を血の海にするなよ…頼むから……」

「死後のことまで責任は取りません」

「何その理屈!?ナニこのお子様!!」

 即反応が返ってくるという珍しさもあって、俺はからかうようにそう言った。年下のストラトスのみ、俺たちは子ども扱いが出来るはずなのに、普段日常の中では、この子どもはそれをさせてくれない。まあ、太陽の下で無邪気に遊びまわる、大人に甘えまくるストラトスなんて想像できないのだけれど……。

 ―――あんまり急いで成長しないでくれよ?

(……確かに)

 本を読み、戦いに身を置き、じゃれあうように時に馴れ合って、俺たちは明日を待つ。

 深淵というべき無明色の瞳が、まるで成熟を急ぐ…大人になろうとする、象徴のようだという考えが脳裏をかすめた。すると、いつの間にか手を伸ばしていた。それは何かに触るということは無く、あと少しというところ、ストラトスの眼の前で止まる。

「――あんまさ、本とか読みまくって……早く大人になったりするなよ?」

「……」

 ほんの少し、驚きとも言い切れないかすかな揺らぎをその瞳に認めて、俺は微笑んでいた。

 長い。

 長い。

 長い、沈黙の後。

 やがて、細い息が空気中に散り、分厚い本が、パタンと閉じた。

 《終わり》

 どうか、もうすこし。

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Sleep with you,

「僕は別にかまわないのに」

 むしろ歓迎するよ?と、ジオルグは声をかけた。

 濡れ羽色の髪が揺れ、なんともうんざりしたような闇色の瞳が、長い前髪の隙間からのぞく。「目がわるくなるよ?」と再三言ったのだが、本人は特に邪魔でもないらしく、それは整ったその顔立ちを隠してしまう。

「僕のアパートからなら事務所だって近いのに。わざわざ少し離れたところに部屋を借りた理由は何なのかな?」

「……今後の人間関係を考慮して死にます」

 言うが早いか、袖口から太目の荒縄を取り出すと、流れるような動作で首に一周させ、その両端を力一杯引く。しかし、それよりも早く、ジオルグは自分の片手を輪の中に差し入れ、次いでナイフでそれをスパンと両断した。あっけなく2本の縄となったそれを、念のためゴミ箱に捨てておく。

「ストラトス君、寝る前としては刺激が強すぎるよ」

「……ご迷惑をおかけしたようなので死――」

「はいはいストーップ」

 何かを行う前に、先手必勝でストラトスの両手を握って『万歳』をさせてみる。足がぎりぎり地面につく位なので、別に体は痛くは無いのだが、遊ばれていることを理解しているストラトスとしては面白くない。

「……離してください……」

「じゃあ、とりあえず、せめて明日の朝僕が起きるまで自殺を止めてくれるなら、離してあげるよ?」

「………………わかりました」

 その返事はまるで拗ねているような響きがあって、ジオルグの笑いを誘う。

 そんなジオルグの態度に、ストラトスは悔しいのか、唇を引き結んだ。

 ジオルグがストラトスと出会ってから約1ヶ月。

 この少年の奇行に、最初こそ大慌てしていたが、今ではもう日常の一部となってしまっている。メンバーの中で最年少、そして本当にまだ子どもの域に収まるストラトスは、一応この1ヶ月、ジオルグのアパートで同居していた。

 しかし、どうもいくらジオルグのアパートが広いといえど、上司と1日中一緒であるというのは気詰まりするのか、少年は早々に引っ越し先を探してきた。ストラトスが自分からこうも積極的に行動することは珍しく、事務所のメンバーも驚愕していた。

 ――が、なぜかその理由についてはジオルグ以外の面々は、『すべて納得・理解している』と、深く深く頷いていたという……。(それは、上司云々…というものではないということだけは、追記しておこう)

 引っ越すといっても、ストラトスの荷物は少ない。

 大きな生活必需品でさえ2,3個しかないのだから、手荷物はなおさらだった。

 衣類と洗面用具が入った小さな鞄を見て、ジオルグは目を細めて、少し翳りのある笑みを浮かべる。わずか1ヶ月の間だったが、小さな同居人のいる生活は、久しぶりに楽しかった。こうしてアパートに戻ってくる――帰ってこよう、と思えた1ヶ月だった。

「……明日から、寂しくなるなあ……」

 自然と口からこぼれた言葉に、ストラトスはかすかに驚いたようにジオルグを見る。歳に見合う、滅多に見られないその様子を、ジオルグは今度は暖かな笑みで迎えた。

「今日は、一緒に寝よう。折角だからね」

 大きな手が、ストラトスの小さな体を引き寄せる。

 大きなベットは、そんな子どもの軽い体重ではびくともせず、いともたやすくその重みを受け入れた。近くにあったクッションを枕代わりにして、ジオルグはごろりと横になる。

「おやすみ、ストラトス君」

「………おやすみ、なさい…」

 戸惑うような返事をジオルグは嬉しそうに耳に留め、すうっ……とまどろみにその体、その心ごとすべてを委ねる。

 今日はいい夢が見れそうだと、そう思いながら。

   《終わり》

 ひとりはさみしい、と、いったひと。

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生き様を飾れ

 死と隣り合わせだからこそ、人は己を飾り、精一杯輝く。

 ギギナがかつて言ったことを、俺は多少納得しつつ、しかし一方でそれを実行するつもりは、髪の毛一本分も無い。ギギナに対するあてつけだの、覚悟が無いというわけではなく、単純にどうもその気になれないという感じだ。

「クエロもやっぱり見た目、服とかにこだわってるよな」

「――まあ、そりゃあね。一応、私も女だから」

 引き締まった腰や、豊かな胸を魅せる服をクエロは好んで着る。女であることに誇りを持ち、同じく攻性呪式士であることを大切にする俺の彼女は、戦場という空間で、まるで神の申し子であるかのように舞う。

 ギギナと並んで闘う姿は、まさに圧巻。

 絵になるなんてものではない。

 一瞬嫉妬さえ忘れて呆けるほどに、己に合うものにこだわった彼らの姿は、一種の芸術品だった。

 そういえば、ジオルグも、妙にこたびれて見えるとはいえ、相当値の張る質の良いスーツを身に纏っている。そこら辺はやはり、彼もギギナたちのように、戦場というものを意識しているのかもしれない。

 そこで、俺の脳裏には、全身を黒一色に染め上げた子どもの姿が描き出された。

 あまりにも細く、折れてしまうのではないかというほどに頼りない白い肌と対を成す、闇色。それこそ、闇に溶けてしまうのではないかと思うその姿は、この世の絶望を吸い込んだようだと、かつてクエロに言ったことがあった。

 するとクエロは、俺がそれまで知らなかったことを教えてくれたのだ。

『あのね、ガユス。一般的というか、まあ、女性の間では、黒とか紺とかは誰にでも似合う色だと言われていたりするけれど、実際はそうじゃないのよ』

 一応、女の家族がいた俺はそんな話を聞いたことがあったので、その定説を否定するクエロの話に興味を持った。クエロは、そんな俺の気持ちを汲み取って、適温のはずのコーヒーを飲むことなく、言葉を続けた。

『黒が似合うのは、本当に一部の人間だけなの。あまりにも強い色だからね。そうね…多くの人間は、色に負けて、自分の魅力を損なうことになるわ』

 ちなみに、私はセーフだったけど、とクエロはこっそりと付け加えて、それでも、と言う。

『きっと、ストラトスほどあの色に対抗できる人間はそういないと思う。雪よりも白く、張り詰めた、高潔な色を持つ……。あの子は、無明色を完全に自分に合わせている』

 そして、と、クエロはそれまでとは異なる、薄い笑みを浮かべる。

 蜜色の瞳に宿る鋭利な光に、俺は釘付けになった。

『黒は、血を、もっとも美しくこの世にさらすのよ?』

 最も戦場で輝く素質を、ストラトスは持っている。それを意味する言葉に、俺は瞠目して、そのくせ頭のどこかが冷静に言語化を図ろうとする。

 子どもが望んだ物ではない。

 だとしても、どうかその黒が、子どもの生を色取り、ここに縛り付けるように…。

 大人の、仲間の、兄の、

 愚かで醜いエゴとして……。

《終わり》

今も俺は、そう願い続けている。

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