パラパラと、ほぼ一定の間隔でページをめくる音。
そんな音が聞こえるほどに、事務所は静かだった。
「―――楽しいのか?」
やけに分厚く、古びた本を読み続けるストラトスに、俺はついに退屈さに負けて声をかけた。濡れ羽色の髪はピクリとも揺れず、細い指は黙々とページを進めていく。想像以上に綺麗に無視されて、ちょっと空しい。けれど、それ以上に腹が立って、大して進んでいない書類を机に置いて、ツカツカと歩み寄った。
さすがにこれだけ近づくと、本の題名も読める。――が、それは少なくとも呪式関係のものではなく、見たことも聞いたこともない人名と題名が活字で記されているだけだった。
10代の少年が読む本としては、ずいぶんと格式ばった印象である。
「えーっと、なになに…?『精神構造解剖とその論拠について』………見るからにわけわかんねー難解さを凝縮したタイトルだな」
わざと声に出してそんな感想を述べてみるが、ストラトスはほんの一瞬俺を一瞥しただけで、何事も無かったように読書を続行中。
―――完璧になめくさっていやがるな、このクソガキ…。
いくらそれなりにこの事務所の中では(自称)3番目くらいに温厚だとしても、ここまで近くにいて話しかける年上であるはずの自分を無視してくれるような無礼極まりない子どもに、はらわたが煮えくり返ってきた。
俺はついに手を伸ばして、本をひったくるように奪おうとした。
―が、憎らしいことに、その攻撃を予測していたらしいストラトスは、くるりと90度向きを変えて、いとも簡単に俺の手から逃げやがった。もう1度隙を狙おうとしたが、結果は同じである。
「テメ…!こんな時ばっか早く反応するなよ!?つーか逃げるな!!」
「………普通は逃げると思いますが」
ようやく呆れたように言葉を吐き出した子どもに、俺は少し満足した。多少の生意気な内容も、無視されるよりはずっといい。
再び本に視線を向けようとしたストラトスに、俺はさらに言葉を重ねる。どうせなら、たとえ噛み合わなくても『会話』をしていたかった。
「ストラトスって、本好きだよな」
「……」
「つーか、そーゆー……哲学?の本って、読んでて内容分かるのか?俺はサッパリ理解できないんだが」
「ガユスさんとは違いますから」
「――――――お前、本当、俺のこと馬鹿にしてるな」
「……ガユスさんがうるさいので死にます」
「待てって!!」
かろうじて目に留まった銀色のナイフをひったくって、手の届かないところまで放り投げる。上手い具合にそれはごみ箱に入って、かたい金属音が室内に響き渡った。妙な技術は、間違いなく向上しているという現実を実感。―――何だかなあ…。
「事務所を血の海にするなよ…頼むから……」
「死後のことまで責任は取りません」
「何その理屈!?ナニこのお子様!!」
即反応が返ってくるという珍しさもあって、俺はからかうようにそう言った。年下のストラトスのみ、俺たちは子ども扱いが出来るはずなのに、普段日常の中では、この子どもはそれをさせてくれない。まあ、太陽の下で無邪気に遊びまわる、大人に甘えまくるストラトスなんて想像できないのだけれど……。
―――あんまり急いで成長しないでくれよ?
(……確かに)
本を読み、戦いに身を置き、じゃれあうように時に馴れ合って、俺たちは明日を待つ。
深淵というべき無明色の瞳が、まるで成熟を急ぐ…大人になろうとする、象徴のようだという考えが脳裏をかすめた。すると、いつの間にか手を伸ばしていた。それは何かに触るということは無く、あと少しというところ、ストラトスの眼の前で止まる。
「――あんまさ、本とか読みまくって……早く大人になったりするなよ?」
「……」
ほんの少し、驚きとも言い切れないかすかな揺らぎをその瞳に認めて、俺は微笑んでいた。
長い。
長い。
長い、沈黙の後。
やがて、細い息が空気中に散り、分厚い本が、パタンと閉じた。
《終わり》
どうか、もうすこし。
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