『紙魚』様から頂いた相互記念小説
【intergral】
「聞いてる?クルル」
そう言われた。
「わり、聞いてない」
「もう」
サブローはわかりやすいくらい白々しい怒りの表情を見せて笑って。もういちどチケットを揺らす。
「ポルトガルの彫刻家がさ、奥東京で個展をひらくんだよ。ラジオのスタッフからもらったんだ、一緒に行こうよ」
そうだ、さっきもこう言ってた。俺はサブローの手にする細長い紙切れを見て、それから目をとじた。
もう見たくない。
「面白いんだよ、この人。床にはいつくばった人物像とか作ってさ、タイトルが愛の抱擁とかいうんだぜ。なんだそれ?みたいな。1日中いてても飽きないから一緒に行こうよ」
「そんなに楽しいなら1人で2回行きゃいいじゃないか」
サブローの手にチケットは2枚。
「クルルと一緒に見たいんだよ。クルルのものの見方って面白いじゃん。やっぱ科学者だなぁって、感心しちゃうワケ。ねぇ一緒に行こうよ」
「ケロン体で行けばタダじゃねぇか」
「ダメダメ」サブローは指をちっちと鳴らす。「アンチバリアで見えないのをいいことにイタズラするでしょ。世界を代表する彫刻家なんだよ、そんなことは絶対許しません。2人でいくの。独りじゃつまんないもん」
「お前のことなんか知ったことか」
イタズラできない美術館なんて面白くもない。
サブローはひきさがらない。
「そういうなよ。クルル子ちゃんになってよ」
「彫刻とか絵画とか興味ねぇっての」
「クルルが絵画に興味ないのは前回でよくわかったからさ、今回は彫刻にしてるんじゃん」
「どっちも一緒だろ」
「全然違うよ、2次元と3次元だよ」
「だから、わかんねっつうの」
「わかるって。この人のは絶対マジ面白いから」
サブローは、こと美術の方面になるとやかましい。
詩人ぶってるせいかコイツは美術館や展覧会に行くのが好きだ。
絵や彫刻を見てるサブローは子供のように目を輝かせる。気に入った絵を微動だにせず、まるで目に焼きうつすが如く見入る姿は微笑ましくもある、恐ろしくもある。羨ましくもある。
俺は絵の善し悪しなんて、さっぱりわからない。
「行きたくねぇ」
「わかった。じゃあ個展のあとカレー食べに行こう。おごったげる。このまえテレビで見た、あのタイカレーの店に行こう。ハーブを自家栽培してるって、あのお店で好きなの頼んでいいから」
カレーと言えば俺がなびくと思いやがって、糞ガキが。
たしかにあの店のホーリーバジルは新鮮でうまそうだとは思ったが。
「興味ないね」
「ウソつき」
あぁたしかにウソだ。
カレーに興味がないわけじゃない。
「そんなに外でるのイヤ?」
「…………」
外にでるのがイヤなんじゃない。
「絵とか彫刻とかつまらない?」
「…………」
そういうんでもない。
善し悪しはさっぱりわからないが、絵画や彫刻、音楽のなかには魂をゆさぶられるものがたしかにある。いちど見てしまったら引きつけられて目が離せないもの。あれが人生を豊かにする例のものなんだとわかってるつもりだ。
でも、イヤなんだ。
「ケロロから聞いたよ。ずっと閉じこもってるんだって?よくないよ。たまには外でなよ」
「めんどくせぇ」
「カビ生えちゃうよ」
「こそぎ落とす」
「そういう問題じゃなくてさ」
イヤなんだ。
自分の世界から、ここから出たくないんだ。放っておいてくれ。
なにものにも総括されたくない。
サブローがしゃがんで視線をあわす。もう、叫び出したい。
間違ったことをしてないなら、心配する必要はなにもない。ないはずだ。ないはずなのに。
俺は怖くてたまらない。
サブローが頭をなでる。
「たまにはお陽様あびて、外の空気を吸わなくっちゃ。こんな暗いところにいるからイヤな奴なんて言われるんだよ」
サブローの声が浸食する。
俺の中に加わっていく。ムカムカする、吐きたい。気持ちが悪い。どうして放っておいてくれないんだ。
「消えろ、うざい」
「ひどいな」
そういう声も少しも本気じゃなくて、自信ありげに笑ってる。俺に好かれてると、こいつは胸を張っていうんだろう。糞ったれめ。
「興味ねぇんだよ、とっとと消えろ」
「今日はいちだんと機嫌悪いね。どうしたの?」
機嫌が悪いんじゃない。お前が悪いんだ。お前のことが嫌いなんだ。
ケロン人に比べて大きな手が俺の額にかぶさってくる。それはとてつもない恐怖だ。
大きな手のひらが俺を覆い被そうとする。俺の中をあばこうとする。
「顔色悪いし、ちょっと熱があるんじゃない?」
離れてくれ、消えてくれ。
俺の側に来るんじゃない。本当に、吐きそうだ………。
「気分悪いときに付き合わせてゴメンね。具合悪いんなら言ってくれたらいいのに」
ふいと体が浮き上がる。サブローの胸のなかに抱きかかえられる。
「ゆっくり休みなよ。ケロロには僕から言っておいてあげるから」
俺はなんでもできるんだ。
比喩ではなく本当に。俺はなんでも出来るんだ。不可能を可能にできるんだ。
だったら、この距離を伸ばしてくれないか。
ラボのイスから仮眠する押入までの距離を、地球の裏側ぐらいまで、長く長くしてくれないか。いつまでもここにいられるように、いつまでもここでこの匂いに包まれるように。
距離がずっとあればいいのに。
星をまたぐぐらい。時をまたぐぐらい。無限和。
俺はここにいたいんだ。ここにずっといたい。
押入の戸がすっと開く。
「ゆっくり休んでね」
「…………」
仮眠室を近くに作ったのは自分自身。それなのにそれが憎くて仕方ない。
ずっとあそこにいたかった。
「仕方ない。これは夏美ちゃんといくよ」
「……そうかい……」
ほら痛い。
胸がきりきりきりきり、呼吸がとまるくらい痛い。
なんかしてやる。
日向夏美になにかしてやる。公衆の面前で恥をかかせてやる。ざまぁみろ。
「よく休むんだよ」
押入はしまって、足音だけが響いて。遠ざかる足音が胸を踏みつける。胸の深いところをぎりぎり踏み締める。
俺は自分の手を見る。黄色い小さな手。なにもできない手。なんでもできるのに、肝心なことはなにもできない無力な手。
間違ったことをしてないなら、心配することはなにもない。
なにもないはず。
それどころか俺にはチャンスがあったんだ。なのにいつも投げ捨てている。この黄色い手でチャンスってやつを捨てている。
だって、この手でなにが出来るっていうんだよ。
こんな小さな手で、こんな小さな体で。
なにを欲しいって言ってるんだ。なにを求めているんだ。バカじゃねぇのか。
いつも怯えてなにもせず、憎まれ口を叩いて、求めてるものが手に入らないと拗ねている。子供より性質が悪い。
あいつはルックスがいい。俺は頭がいい。きっと2人で手をくんだら一儲けできるぜ。
いや違う。俺はそんなもの求めてない。
俺の横にあいつなんかいらない。
だれとも混じりたくない、だれとも一緒になんかいたくない。
心の中でだれかが言う。
それなら未分化なんて中途半端な状態をやめればどうだ?天才科学者さんよ。
「うっせぇ……。だれとも関わりたくないから、俺は未分化で生きるって決めたん だ…………」
独りで生きるって決めた。そのための選択。
あいつのためなんかじゃない。
俺は自分の世界で目をとじる。
真っ暗な明かりのない世界で目をとじる。
胸がいつまでもじくじくと痛んでいた。
あいつの笑い方が、あいつのぬくもりが、あいつの匂いが。俺の暗い世界に加わって、それがずっとずっと深いところで傷んだ。
他人との接触をずっと避けてきた俺のなかに加算されたものが生腐い匂いとともにいつまでも痛んで、俺はやっぱり目をとじた。
なにも間違ってないはずなのに、痛くて痛くて、たまらない。
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『紙魚』千鳥様から、一生懸命なクルルの小説を頂いてしまいました……!
色んなものをいらないと遠ざけた先に、何があるのか。どうして「間違ったことをしているわけじゃない」と自分に言い聞かせるように繰り返してしまうのか……。
間違っていないことが正しいとは限らないような世界で、これからこのクルルがどう歩いたり立ち止まったり考えたりするのかが、すごく気になりました。
千鳥様、味わい深い素敵なお話を本当にありがとうございます!!
以下、ひっそりと感想や展望を詰め込み勢いで書いた小話を……。
『ただそれだけしか残らないから、』
“世界で思い通りになるものは、どれくらいあるのか”
どうしてそんなことを考えていたのか、ガキの頃の自分の思考回路など分かりたくもない。が、とにかく一時期、俺はそんなくだらない命題に暇を見つけては向き合っていた。
どちらかと言えば、自分の領域は数式で、言語で組み立てる文章には縁が薄い。
屁理屈をこねくり回す哲学だの思想だの倫理だのという本は、自分の領域ではないにせよ、それなりに興味があったのか。気付けば、それなりに一通りの文献を読み漁っていた。
“世界で思い通りになるものは、どれくらいあるのか”
『答え』と言える、明確なものはない。
読み漁った先人たちの言葉にそれらしい話は何回も登場した。
だが、それだけだ。
答えは無い。
どいつもこいつも、言葉を濁してごまかして終わっている。
元々そこまで期待はしていなかったとは言え、妙なしこりが残ったのは事実だ。
(――他人の思考なんざ、くそくらえだ、が……)
改めて分かりきっていたことを突きつけられるということが、ここまで興ざめするものなのかと。あの頃、自分は嗤っていた。
“世界で思い通りになるものは、どれくらいあるのか”
(結局、自分でもっともらしい結論を導き出すしかないというわけかぃ)
まあ、それはそれで悪くない。
暇つぶしとしてはそこそこの命題だと、あの頃の自分は、嗤っていた。
(……ククッ……)
押入れの暗闇で、嗤う。目を開けても閉じても、そこには闇しか無い。
まどろみは訪れず、ただ自分を巣食う痛みに抗うために目を閉じる。
(……ここが、俺の世界……)
この押入れは、『自分の』世界のはずだ。
それでも、ひとつの『世界』である限り、全てを自分のものにはできない。
世界は、常に侵される。
本当は、分かっている。
だから、抗うのだ。
(誰も入って来るんじゃねぇ……その代わり……)
自分も、これ以上のものは求めない。
未来に過剰な期待はしない。現在に領分を越えたものを望みはしない。
ただ、偽りの不変をもうしばらく保っておきたいだけだ。
(……ながく、)
出来るだけ長く、まだ、こうしていたい。
《終わり》
天秤が傾く時を遅らせる




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